直情真気

平穏な時間を過ごす

日々のなかで、平穏な時間を過ごすことが、ココロとカラダに必要だと、思ってはいるのだが、実際にはなかなか・・・。

この仕事を片付けたら、途中で置いたままにしている写真の整理が終わったら、始めたばかりの部屋の掃除が片付いたら、ちょいと休息を。

でも、それって平穏な時間なのかな?

そういう思考になるのである。
ただ、疲れた肉体を休めることでなく、自分の心身が望んでいる平穏な時間は何だろうか?

自分の内なる声に耳を傾けていると、いろんな気づきや何で?、これが次々と出てくるので、なかなか興味深いものである。

この仕事を片付けたら、それと同じ次元で、平穏な時間を求めているところが、思考を余計にややこしくしている。

何か、完璧な状態にして、その後で平穏な時間がやってくるのでは、という勘違いである。
いろいろな途中であっても、平穏な時間を過ごせる。
そうでないと、いつまで経ってもそんな時間はやってこない。

いま、この仕事、途中だわ、それだけのこと。
また進捗70%ぐらい、そこまでで、そのまま受け入れる。
どうすれば?
改善するところは?
こんなスピードではダメやね!
そんな考えには及ばない。
罪悪感や不安感もない。
ただ、その今を、そのまま受け入れて過ごす時間、これが平穏な時間を過ごす、ということでないだろうか。

こういう時間を、一日に数分でもよいから過ごす。
そして、また、いろいろな渦中に入っても良し。

自分のココロとカラダが望んでいるのは、このような平穏な時間を過ごす、ことだと感じている。

自分の場合、これが、ウォーキングする時間になっています。

歩く瞑想。