私事云々

神仏霊場 巡拝の道

神さま、仏さま、日本に生まれあたりまえのように接し、毎年の暮れには除夜の鐘を聞いて年を越し、新年に初詣に行く、ごくごくあたりまえのこと。
何の疑問も持たなくて、そう思っているのは、もしかしたら自分だけかも知れないが、それら全てを受け入れて自分の糧にしていることに、日本という歴史を想うのである。

もちろん、私はクリスチャンなので、ということで、神社に参拝されない方もいらっしゃるだろうし、いろいろな信ずるものによって、人々も様々、それらもひっくるめて、みなが受け入れているところが、日本であるような気がします。
歴史のなかでは国家からの弾圧は事実として存在するが、大きな宗教上での争いがなく、そこには大昔から自然そのものを崇拝する、よくわからないけど、心身に刻みこまれた何かがあると考えます。
そういうなかで仏教が伝来、国家が取り入れることによって広く親しみをもって人々の糧になってきた。
仏像が彫られ、寺院が建立、そして神社も社が構えられ、寺院のなかに神社があったり、またその逆も、神仏習合という日本において広く長く親しまれてきた歴史に、日本に生まれて感謝することでもあります。

その秩序が壊れたのは、ごくごく最近のこと、明治新政府(薩長新政権)が打ち出した「廃仏毀釈」、これによって、仏教が伝来してからの寺院や仏像・仏具が破壊されたのである。

なんでこんなことをしたんだろうか?
近代化を急ぐばかりに、西欧諸国からの唆しにあったのだろうか、変革の際に破壊も起こる、そういう大きな歴史の後押しでもあったのだろうか、このあたりも、全くの個人的妄想である。

そんな破壊活動のなかにおいても、人の信仰心までは変えれない。
地域において、仏像を地下に隠すなど、寺院巡礼のなかで、そういう歴史に触れて人間の想いの強さを感じると同時に、弾圧すればその反動あり、日本人が持っている絶妙なバランス感覚が、とても生かされているように思うのです。

そして、時代は戦後へと移り変わり、さらに現代、宗教学者の山折哲雄氏の提唱により、2008年3月2日に西国の名だたる古社名刹が手を結び、「神仏和合」にもとづく神仏霊場会が設立、『神仏霊場巡拝の道 』が誕生しました。
伊勢神宮( 特別巡拝)、および近畿地方の152の社寺を巡拝する道にて、本来の日本を感じてみませんか?